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名古屋地方裁判所 昭和35年(ワ)1468号 判決 1962年12月26日

原告 菊川将男

外二名

右原告三名訴訟代理人弁護士 矢留文雄

被告 古田昭一

外二名

右被告三名訴訟代理人弁護士 中根孫一

主文

一、被告等は、各自、原告美津江に対し金一七万一一一二円、原告公に対し金八万五五五六円及び右各金員に対する被告古田、被告会社は各昭和三五年九月二一日から被告小川は同年二二日から各支払ずみまで各年五分の割合による金員を支払え。

二、原告将男に対し

被告古田、被告会社は、各自、金五一万三三三四円及びこれに対する各昭和三五年九月二一日から各支払ずみまで各年五分の割合による金員を

被告小川は、金五一万二三三四円及びこれに対する昭和三五年九月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。

三、原告等のその余の請求はいずれも棄却する。

四、訴訟費用はこれを十分し、その一を原告等の負担とし、その余を被告等の連帯負担とする。

五、この判決は、原告勝訴部分に限り、各被告に対し、原告将男において各金三万円、原告美津江において各金二万円、原告公において各金一万円の担保を供するときは当該被告に対し仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被告古田が昭和三四年七月一〇日自動三輪車(愛第六ぬ七三九五号)を運転し、被告小川が同車の助手台に同乗して名古屋市から刈谷市に向つて進行したことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第一四号証≪中略≫を綜合すれば、被告古田は前記自動三輪車を運転して愛知県知多郡大高地内県道(巾員約七、五米)を時速約三〇粁ないし三五粁で南進中前同日午後五時五十分頃同町大平戸地内に差かかつた際進路前方一五米ないし二〇米のところを同一方向にスクーターに乗つた原告が時速約二五粁の速度で進行しているのを発見しその右側を追越そうとしたこと原告将男は右道路左端から約二、七米程中央へ寄つた地点を進行していたが、被告古田は原告将男の右スクーターの右側から追越にかかつたがたまたま右スクーターの右側を対向してくる自動三輪車を発見したのでこの車の動静に気を取られ原告将男のスクーターの動きに充分な注意を払わずこれと接触する危険を防止するに充分な間隔を保たないでその右側をすれすれに通過して追越したため前記自動三輪車の左側車体最後部蝶番附近を右スクーター後部荷台にくくりつけられたボール箱に接触させて右スクーターを転倒させて原告将男原告公をその場に進行方向右側に転倒させ、原告将男に対し全治約五ヶ月を要する右鎖骨々折、原告公に対し全治約一ヶ月を要する左上膊骨上骨折の傷害を負わせたがそのままひき迯げをしたことを認めることができる。乙第一、第五ないし第七号証、証人半田光春の証言被告古田本人の尋問の結果中右認定に反する部分は前記各証拠と対比してにわかに措信し難く乙第二、第三号証も右認定を覆すに足らず他に右認定を左右できる証拠はない。そうとすれば右事故は被告古田の過失に基くものというべく、被告古田は不法行為者として右事故により原告等に生じた損害を賠償すべき責任がある。

ところで、被告古田が本件自動三輪車に被告小川を助手席に同乗させて運転したのは、被告小川が被告会社名古屋支店から買受けた車の調子が悪いので一度見てもらいたいとの申出があつたためであることは被告等の認めるところであり、被告会社が自動車の修理、販売業を営むことを目的とする株式会社で被告古田がその名古屋支店勤務の店員であることは当事者間に争いがなく更に甲第一六号証乙第六号証、証人半田光春の証言被告古田本人尋問の結果を綜合すれば、被告古田は本件事故当時被告会社名古屋支店のヤマハ号オートバイの修理班長をしており、被告会社から被告小川へ売却した前記車もヤマハ号オートバイであつた関係上、本件事故当日の午後五時過頃勤務時間終了後であつたが被告小川の前記申出を承諾し、被告会社名古屋支店の大島某の諒解の下に被告小川方へ赴くこととなつたが、たまたま被告小川は二輪の軽自動車に限る軽自動車免許を受けていたのみであつたので資格のある被告古田が被告小川の依頼で本件自動三輪車を運転することになつたものであることが認められるから、被告古田の右行為は顧客である被告小川のためのサービスとしてなされたものに外ならず、主観的にも客観的にも被告会社の業務執行につきなされたものというべく、被告会社は使用者として民法第七一五条により本件事故によつて原告等に生じた損害を賠償すべき責任がある。

次に原告等は、被告小川は本件自動三輪車を被告古田と共同運転したものであるから、先ず第一に共同不法行為者として損害賠償責任がある旨主張するが、自動車事故による損害賠償に関しては特別法である自動車損害賠償保障法を先ず適用すべきであるから、当事者の主張如何に拘らず先ず同法(以下自賠法と略称)の適用につき判断するに、証人半田光春の証言によれば本件自動三輪車は被告小川が訴外半田光春の紹介で訴外愛知日野オリエント株式会社から購入したものであるが未だ所有権は右訴外会社に留保されていたこと、被告小川はその使用者であることが認められ、前記認定事実によれば被告小川は本件自動三輪車を自己のため運行の用に供していたことが明らかであるから自賠法第三条にいわゆる「運行者」として本件事故のため原告将男同公が負傷したことにより原告等の蒙つた損害を賠償すべき責任がある。ただし自賠法第三条による責任は物的損害は除かれるのでそれについては民法を適用すべきこととなるが、前記のとおり被告小川は本件自動三輪車の助手席に同乗していたのみであるからこれを目して被告古田と共同運転したものというを得ないから、原告等に生じた損害のうち物的損害については被告小川に賠償責任はない。そこで本件事故により原告等の蒙つた損害について順次判断する。

一、前記甲第三号証≪中略≫を綜合すれば、(1)原告将男(大正三年一月二一日生)は本件事故当日鳴海町上汐田中島病院、大府町大字森岡字源吾四番地の五国立愛知療養所にて応急手当を受けた後昭和三四年七月一二日から同年八月一四日まで安城町的場九〇番地の五松井整形外科病院に入院し、退院後も同月一五日から同年九月二一日まで同病院に通院治療を受け、中島病院に金一四〇〇円を、国立愛知療養所に金四七七〇円を、松井整形外科病院に金三万三〇三五円を入院費治療費として前記各病院、療養所への往復タクシー代として半田市南末広町一三番地愛知タクシー愛知交通株式会社に対し金六八六〇円を、原告将男所有の本件スクーターの修理代として大府町大字大府字南島一一四番地有限会社岩城自転車商会に対し金一〇〇〇円をそれぞれ支払つていること(2)原告将男は昭和二四年頃から前記愛知療養所内に店舗を設け菓子食料品日用雑貨類の販売業をしていたが、原告将男の入院中は妻である原告美津江も夫の原告将男と子の原告公に附添看護したので右店舗をしめていたため折柄の夏期のこととて商品のうち代金三万五二〇三円相当の食料品が腐敗してしまい、同額の損害を受けたこと、(3)原告将男は本件事故当時(前記営業により)一ヶ月最底三万円の利益があつたが本件事故による負傷のため昭和三五年三月八日まで休業したがその間全く収入がなかつたのでその間の得べかりし利益八ヶ月分二四万円を失い、同額の損害を蒙つたこと、(4)原告公(昭和三〇年四月一八日生、原告将男原告美津江間に出生した長男)は、本件事故当日前記国立愛知療養所にて応急手当を受けた後昭和三四年七月一一日から同年八月七日まで前記松井整形外科病院に入院し、同年九月七日まで同病院に通院マツサージ療法を受けたこと、(5)原告公のため治療費として国立愛知療養所に対し金一六二円、松井整形外科病院に対し金二万六七〇円が支払われていることがそれぞれ認められ、この認定を覆すに足る反証はない。右事実によれば、原告将男の蒙つた財産上の損害は右(1)(2)(3)の合計金三二万二二六八円、原告公の蒙つた財産上の損害は右(5)の金二万八三二円と認めるのが相当である。(もつとも原告公は本件事故当時満四才の幼児であるから、特別事情の認められぬ本件にあつては右入院費治療費等はすべて父である原告将男もしくは両親として原告将男同美津江が支出したものであることは推認しうるところであるが、本件事故により右金二万八三二円の治療費を必要とする傷害を受けたことにより右相当の財産上の損害を原告公自身において蒙つたものとみるべきである。その余の原告将男同公主張の財産上の損害についてはこれを認めうる立証はない。

二、甲第二、第三、第六、第七号証に原告将男本人尋問の結果によれば、原告美津江(大正一二年一〇月一〇日生)は、昭和二七年二月二八日原告将男と結婚し、原告将男との間に原告公のほかに長女である菊川早苗(昭和二七年六月二三日生)が出生しているところ、本件事故当日より、昭和三四年八月一四日までの三四日間は、原告将男が手術を二回実施したりしたため附添看護を必要としたので、看護婦の資格のあるところから、長女早苗を他へ預けて前記松井整形外科病院において原告将男同公に附添看護したこと、このためその間は主婦としての家事労働に従事することができなかつたことが認められ、右認定に反する証拠は存在しない。一般に主婦の家事労働は親族間の扶養義務又は夫婦間の協力扶助義務の履行としてなされる訳ではあるがこの故にこれを財産的に評価できないと解すべきでなくただいかなる標準によりこれを算定すべきが問題であると解すべきである。本件においては原告美津江は原告将男や原告公の附添をしたが、本来であれば附添婦を雇いこれに附添料を支払うべきところ、看護婦の資格を有するためこれの代りを務めたのであるから、愛知県における普通一般の附添料を標準として美津江の損害を算定することは可能であると解する。そうとすれば弁論の全趣旨により成立を認めうる甲第三六号証に原告将男本人尋問の結果によれば、愛知県における看護補助者の料金は一日六〇〇円、二人の場合はいずれも三割増とされていること、本件事故当時前記病院で附添婦を雇うとすれば食事付で一日金四五〇円、二人の場合はその二割増の料金であつたことが認められから、原告美津江は少くとも一日金六〇〇円の損害を蒙りその三四日分金二万二四〇〇円の限度において得べかりし利益を失い同額の財産上の損害を蒙つたものというべきである。原告美津江が右三四日のほか休業したことを認めうる証拠はない。

三、次に原告将男同公が本件事故によつて負傷したことにより精神上肉体上の苦病を受けたことは容易に推測しうるところである。又原告美津江も夫である原告将男、子である原告公が前示のような重傷を受けたことにより、妻として又母親としての精神的利益を侵害されたことにより民法第七〇九条第七一〇条によつて被告等に対し慰藉料を請求しうるものと解する。そして慰藉料の額は、本件にあらわれた諸般の事情ことに本件交通事故が典型的なひき迯げ事件であることに鑑み原告将男に対しては金三〇万円、原告美津江に対しては金二〇万円、原告公に対しては金一〇万円が相当であると認める。

次に、被告等の過失相殺の主張について判断する。

原告将男が本件事故当時本件スクーターのハンドルや方向指示器等両側に貝殻や海水着をぶらさげ又後部荷台にボール箱をつけその中に原告公を乗せて運転していたこと、原告将男が戦傷者であることは当事者間に争いがない。原告将男本人尋問の結果によれば、右貝殻や海水着等は網袋にいれてぶらさげていたが、原告将男の膝までとどかぬ位の長さであつたし、又原告将男の戦傷も当時治癒しともに運転には支障とならなかつたことが認められるが、一方原告公は後部荷台につけられたボール箱の中に西向きに坐していたことが認められるので本件自動三輪車の接近又は接触によつて驚きあわて立ち上つたり身体を動かしたりしたならば忽ち安定を失うおそれがあつたものというべく、前示のように原告将男の本件スクーターが本件自動三輪車に接触され進行方向右側に転倒したのは右が一原因であつたものと推断される。そうとすれば、本件事故による損害の発生拡大につき原告将男にも過失があつたものというべく、右過失はひとり原告将男に対する損害賠償額を定めるについてだけでなくひろく公平の見地から被害者側の過失として原告公、原告美津江に対する損害賠償額を定めるにつき斟酌すべきである。而して右過失は被告古田被告会社の将男に対する損害賠償額を金六〇万円(被告小川は前示スクーター修理代一〇〇〇円の損害を除き金五九万九〇〇〇円となる)被告等の原告美津江に対する損害賠償額を金二〇万円、原告公に対する損害賠償額を金一〇万円とする程度に斟酌さるべきである。

ところで、原告将男本人尋問の結果によれば、原告将男は自賠法により金一三万円の保険給付金を受領していることが認められるところ、右支払額については本来各権利者が賠償額に応ずる持分を持つているものと観念せらるべきであり、又特別事情の認められない本件にあつては原告将男が原告等を代表して受取つたものと見るべきであるから右金一三万円を原告等の賠償額で按分すれば、原告将男は金八万六六六六円(円以下切捨以下同じ)、原告美津江は金二万八八八八円、原告公は一万四四四四円となるので前記賠償額から右をそれぞれ控除し原告将男は金五一万三三三四円、原告美津江は金一七万一一一二円、原告公は八万五五五六円となるから、被告等は、各自、原告美津江に対し右金一七万一一一二円、原告公に対し右金八万五五五六円及び右各金員に対する被告古田及び被告会社は本件訴状が右各被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三五年九月二一日から被告小川は同じく同年九月二二日から各支払ずみまで民事法定率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告将男に対し、被告古田、被告会社は、各自、金五一万三三三四円及び右金員に対する昭和三五年九月二一日から支払ずみまで民事法定率年五分による遅延損害金を、被告小川は、右金五一万三三三四円から本件スクーターの修理費損害一〇〇〇円を除いた金五一万二三三三四円及びこれに対する前記昭和三五年九月二一日から支払ずみまで民事法定率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

以上のとおり原告等の本訴請求は右の限度で正当として認容し、他は失当として棄却することとし、そこで民訴九二条九三条一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 丸山武夫)

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